写真講座

初心者を対象とした、とても簡単な風景写真の撮影講座です。

ゆーしの戯言

ゆーしの戯言には、風景写真を撮影している中で気になった事を書いています。
あくまでも戯言ですから、どのように感じるのかは、それぞれの個人で違うと思いますので、
参考程度に読んでもらえたらと思っています。

私の自宅周辺には、たくさんの植物が育ち、初春から晩秋にかけて様々
な花が咲いています。

そして、たくさんの昆虫達がその花に集まってきますし、その昆虫を捕食
する生き物達も集まってきます。

自分のすぐそばで生き物達の弱肉強食が行われていると思うと、なにか
不思議な感じがします。

この写真は、自宅の庭にいた小さな若葉蜘蛛の写真です。

蛙や鳥などに捕食されますが、小さな生き物達の頂点にいる存在です。

蜘蛛は、比較的動かないので撮影もしやすい生き物です。

他にもたくさんの昆虫や両生類などを見つけられますが、その中でも
蜘蛛が一番に見つけやすい、身近な生き物になっています。


写真を始めるまで蜘蛛をじっくりと観察した事など無かったのですが、
よく見てみると綺麗な体をしていますし、可愛いと思う所もあります。

しかし、他の昆虫を消化液で溶かして食べている所などを見ると、やっ
ぱり恐怖を感じる事もあります。

こうやって、昆虫の撮影をしていると、いつも思うことがあります。

以前と比べて、自分のまわりで蜘蛛や他の昆虫を見かける事が少な
くなってきているような気がしてなりません。

原因を考えてみると、森や沼、それに田畑などの昆虫の住む場所が
少なくなっている事に気がつきます。

そして、昆虫だけでなく、色々な生き物も少なくなっているに違いあり
ません。

現在の自然について考えてみると、けっして望ましい環境になっている
とは、 とても思えないような事柄が多数あります。


美しい草木のまわりに空き缶やお弁当の空箱などが散らかっている事を見かけることがありますし、 林道をだいぶ奥まで進んだ空き地に大量
の廃棄物が捨てられていたり、川のほとりで釣りの道具が入っていた袋などが散乱していたりと、自然がもっている回復力では、とうてい処理し
きれない大規模な環境破壊が、 個人レベルでも行われているのが残念で、そして悲しいです。

林道も無いような奥深い山中を歩いていて人が捨てたゴミを見つけた時は、なんでこんな所に来て、なんで平気で捨てていく事ができるのか。

この自然を汚して何も感じないのでしょうか・・・、 本当になんで?

昔は、自然の恵みを利用して生活用品を作っていたと思います。
その生活用品が壊れたり不要になったりした場合に山に捨てても、やがて朽ち果て自然の中に戻っていきました。
鉄などを利用しても、やがては錆付いて分解されてしまいます。

ところが、プラスチックやビニールなどは、自然の力だけでは分解する事が難しい人工の物質です。
それを、今までと同じように山中に捨ててしまっていたら・・・、 もっと自然の環境について、真剣に考えてみるべき時が来ていると思います。

人間に都合のいい環境整備では無く、自然がもっている環境を維持する仕組みを理解し、それを守っていく事で死滅寸前の森や海が広がって
いる事を認識して回復できるように手助けをすること。

ダムを作り山からの恵みを堰き止め、豊かな大地が貧弱な物に変わってしまったことや、河川をコンクリートで固めて生き物たちの産卵場所や
稚魚の生存場所を壊してしまっていることや、利用者も少ないような山間部に立派な舗装道路を整備して原生林を破壊しながら人間に都合の
良い針葉樹林を増やし続けることで、熊などの 生態系に多大な悪影響を与えて生き物たちが私達の周りから消えてしまっていることに・・・。

すべてが手遅れになる前に・・・、そして もう、既に手遅れなのかもしれないけれど・・・。

私が訪れる自然には、私以外の大勢の人達も訪れます。

もちろん人が自然の中に入れば、歩いた足元の草花を踏み潰し、進むのに邪魔な枝葉が折られたりする事が当然のように行われています。
私が撮影している隣で貴重な高山植物を掘り返している人もいますし、昆虫採集に夢中になっている人や岩石を採取している人もいます。
私達が自然の中に存在するだけで、少なからずとも自然を壊しています。

自然に何も影響を与えないで生きていく事は、どう考えても無理なようです。

それ でも、植物や微生物などの小さな生物から昆虫類、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類、全ての生物の力によって自然が作り上げた、
生命の輪(高度な食物連鎖のバランス)という自然回復力によって豊かな自然が、少しづつですが、再生されて元のような素晴らしい自然が
作り上げられていきます。
自然の中では生命の死すら無駄になる事なく、再生への礎になっています。

しかし、身近な自然の中で、自然の回復力だけでは、対処しきれない事が起こっています。

昔は、近くの小川でもタニシ、カワニナ等のたくさんの貝類や、ザリガニ、ドジョウ、ミズカマキリ等の水生動物を見る事ができましたが、今では
コンクリートで固められた用水路になってしまい、それらの小動物を見かける事が無くなりました。

これだけ山中を歩きまわっていても、子供の頃にあれだけ簡単に見つけられたクワガタやカブトムシなどを見かけることが、年に1〜2回程度に
なっています。

舗装された道路や住宅地が広がる一方で、キジやキツネなどの動物達も見なくなりました。

人間によって人間のみに都合がいいように環境整備されてしまうと同時に、ビニールやプラスチック等の自然が持っている回復力だけでは、
どうしようもできないような存在がゴミとして放置され始めています。



このままでいいの?

人間がより良い暮らしの為に、自然を汚すことになってもいいの?

自然が汚れて、貴方自身が汚れた水を飲むことになっても平気なの?



貴方の近くでも、きっと汚れた自然を目にしているはずです。
近頃のアウトドアブームの影響なのか、山中で食料品を包装していた容器が散乱していることがあります。
街中でも道端や駐車場などでよく見かけるゴミの溢れている光景と一緒です。

ゴミは、ゴミ箱に捨てる。

なぜ、そんな簡単な事ができないのか?
放置されたゴミを見るたびに、怒りがこみあげてきます。

先日、矢巾温泉近くにある「幣懸の滝」を撮影していたときの事です。

ここも人間に都合が良いように環境整備されてしまい、まるで公園のようになってしまい、 本来の自然は、あまり残っていませ んが、それでも
自然を求めてたくさんの人達が訪れます。

そして、ここにもゴミが放置されています。



私が撮影を終了して帰ろうかなと思っていたときに、二十歳前後の女性が川の方向に下りて
いきました。

何をするのかなと不思議に思い、彼女の行動を見ていると、 落ちていたポテトチップスの袋を
拾っていました。

彼女は、そのままゴミを持って車で帰ってしまったのですが、誰が捨てたか分からないような
ゴミを見つけて拾って持ち帰るなんて、なんと素晴らしい心を持った人なんだと感心してしまい
ました。

自分もポテトチップスの袋が落ちていたのを知っていましたが、回収しようとは、考えませんで
した。

ゴミを捨てる心の貧しい人もいれば、ゴミを拾ってしまう心の豊かな人もいるのだなと、少しは
明るい未来が 見えたような気がします。

私のように無関心なのも絶対にいけないのだと思います。

しかし、個人では、とても拾いきれないほどの大量のゴミが放置されているのも事実です。

私は、自然の美しさを感じてもらおうとホームページを作りました。

実際に撮影された場所を訪れてみると、人間によって荒らされ壊され始めている自然を見つけ
る事になると 思い ます。

自然は、無言のまま耐え続けていますが、人間が何らかの報復を受ける時が、きっと訪れる
と 思います。

北上市の展勝地は、桜の名所として有名な場所です。

桜が咲き始めると県外からも多数の観光客が訪れて、 たいへんな賑わ
いになります。

展勝地の桜の木には、地元の野鳥の会の皆さんが餌場 を 設置してい
ます。
もちろん、この餌場には、多数の野鳥が訪れます。

私は、この餌場も、訪れる野鳥も、まったく気になる事が 無かったので
すが、違う人もいるようです。

桜の美観を損なうと市役所に苦情を言った方がいたそう です。
市役所で担当をした人は、苦情を受理し野鳥の会の方に連絡もしない
で、餌場を撤去してしまったそうです。

苦情を言った方も、市役所で対応した方も、これで桜が咲き始めると
きっと素晴らしい景色が見れると思ったに違いないでしょうが、とても
大変な事が起きてしまいました。

春になって、野鳥たちが食料を求めてやって来ます。

そうすると、桜の新芽などは、野鳥たちの格好の食料になってしまいます。

それを防ぐ目的で設置されていた餌場は、もう既にありません。

新芽を大量に食べられてしまった桜の木は、さすがに花の数が少なかったです。

上記の写真は、この事件が起きた前年に撮影したもので、満開になった桜が見事な景色を見せてくれてい ますが、この年の展勝地の桜は、
もちろん評判が悪く、私も撮影していて、あまりにも花の数が少ないので 殆ど撮影をしないままに途中で帰ってしまいました。

あまりにも無知で、自分勝手な考え方をもっている人たちが多すぎます。

私もこの話を聞くまでは、餌場の意味を知りませんでしたが、餌場が桜の美観を損なうとは思いませんでした。

それよりも桜まつり期間中の提灯を点灯させる電源コードの方が、よほど美観を損ねていると思います。

観光客が多く訪れる為に人の手によって管理されていますので、本当の意味での自然らしさが皆無な所ですが、なぜ餌場が気になったのか?
市役所に苦情まで言って、なぜ撤去させようなどと思ったのか?
もっと他に苦情を言うべき事があるのではないですか?

こういう自分勝手な考え方で、自然が持っている本当の意味を考えないで行動する人達が自然保護とか動物愛護などと言って、実際には、
自然を破壊しているのだと思います。

最近のアウトドアブームで、自然を汚したり、破壊する行動をとっている方が多数いると思いますが、自分がしている事が理解できていないの
でしょうね。

自然の持っている本当の意味を理解して、どうやって自然と共存して行けるのか真剣になって考えないといけない時期に来ていると思います。

このまま、人間が好き勝手な行動をしていたら、この先どうなる事か・・・。

岩手県の小岩井農場には、草原に1本だけ桜の木が植えられている場所があり、写真愛好家の間では、 とても有名な春の撮影地として知ら
れている場所があります。

ここからは、岩手山も見る事ができる場所なので、晴天の青色と、岩手山の残雪の白色と、新緑の草原の緑色と、桜の花の桃色と、なんとも
絶妙なバランスで誰が撮影しても素晴らしい作品が撮れてしまうような、 まさに撮影名所と言った感じの場所です。

観光地のガイドブックなどに紹介される事も多く、毎年多くの観光客が訪れるようになっていました。



農場内の牧草地であるので、人によって踏みつけられないように、
立ち入り禁止の立て看板も設置されていますし、見回りの従業員が
来て監視している事もあります。

撮影の為に来た方々は、立て看板などの注意を守って牧草地の中に
入らないように端で撮影しているのですが、稀に立ち入り禁止の看板
に気がつかないで中に入ってしまう方もいます。

そんな場合でも、他の方々から立ち入り禁止だと注意されると、すぐに
牧草地から出て行くのが普通でした。

しかし、とんでもない行動に出る方々もいます。

大型の四駆で訪れた4人家族の観光客が、立ち入り禁止の看板を
無視して中に入った時でした。

地元のカメラマンから立ち入り禁止だと叫ばれると、「私達は、観光客
なんだから」と自分勝手な言い訳で注意を無視して、どんどん中へと
入って行きました。

だいぶ奥にある桜の木まで行って一周してから戻って来ました。

再三の注意に対しても遠くから来た観光客なんだからそんなに怒るなと言って詫びる様子もなく、平然としています。

あまりの非常識さに地元のカメラマンの方が更に注意したのですが、観光客の夫婦は、声を抗えて怒りだしてしまいました。

父親の方は、「この土地はおまえの物か?違うのなら黙っていろ!」などど好き勝手な事を言い、母親の方も、まるで悪いのが注意をしたカメラ
マンの方だと全くモラルの無い言動を繰り返していました。

子供達に注意された自分の事を正当化しようとでも思ったのか、カメラマンがとった行動を非難していましたが、まさに恥の上塗りと言った感じ
でした。

私は、この夫婦の、あまりの常識の無さに唖然としてしまいました。

観光地などで立ち入り禁止の看板があれば、その指示に従うのが当然だと思うのですが、遠方からの観光客だったら何をやっても許されると
思っているのでしょうか?

なんて自分勝手な考え方をする人なんだと、呆れかえってしまいました。

見ず知らずの方に注意をされれば、たしかに面白くないと思いますが、注意されても当然の事をしておきながら、それに気が付かないのは、
とてもモラルの無い方だと思います。

こんな方々が、たくさんの観光地で非常識な行動を繰り返しているのでしょうね。

貴重な建造物に訪れた記念にと落書きや傷を付けたり、思い出にと一部を壊して持ち去ってしまうとか、あなたの周りにも、そんな行動をとって
いる方がいませんか?

やっている本人は、まったく罪の意識が無いのでしょうね。
こんなにもモラルの欠如した方々が多いのには、とても残念で悲しいです。

ある山から下山をして登山口から駐車場までの送迎バスが来るまで、少し時間があったの
で、登山口にある監視所で休憩をする事にしました。

ここの監視所には、登山道の監視をする為に高倍率の望遠鏡が備え付けられています。

この望遠鏡で確認された不審者には、山頂と登山口に待機している監視員が高山植物など
の盗掘を防ぐ目的で、所持品などの確認をするそうです。

しかしこの望遠鏡を覗いている監視員は、登山者が滑って転んだ様子を見て笑っていました。

わざわざ他の監視員にまでその様子を説明している始末で、登山者に対して悪意を持って
接している感じがして、とても残念でした。

私も登山の途中で転んだ事がありますが、近くに登山者の方々が居れば大丈夫ですかと
声をかけてもらう事が常で笑われたりした事などありませんでした。

人によって性格や考え方などいろいろとあるでしょうから、その人の行動を尊重したいと思い
ますが、監視員という立場からもっと登山者に対する思いやりがあってもいいように感じられ、
残念に思いました。

「他人の不幸は、蜜の味」とも言いますが、どうなのでしょうか?

自然を守るという役割をもって監視員や指導員などという職についている方々も居ると思い
ますが、人間に都合の良いように自然を維持管理するみたいな考え方を持っているなと感じ
る事もあり、人間がこの自然を管理支配しているのでは無く、この自然によって生かされて
いるという事を感じてもらい、物欲や優越感といった気持ちを行動の前面に出す事無く、自然
や他者に対する穏やかな気持ちを持った言動をしてもらいたいと思いました。
 

ある草原に撮影に行くと、小学生くらいの子供たちがトンボを捕まえて
遊んでいました。

近くに沢や沼もあるので、たくさんのトンボが交尾や産卵をする為に集
まって来る場所でもあり、子供たちは大喜びで走り回っていました。

近くに数台の大型RV車が停車していまして、父親たちは、沢で釣りを
楽しんでいる様子でした。

かなりの数のトンボを捕獲した子供たちは、一箇所に集まりなにやら
新しい遊びを始めたようでした。

何をしているのかなと子供たちの方をよく見てみると、トンボの羽を
広げて左右に胴体を引き裂いていました・・・、哀れにも捕まったトンボ
たちは、すべて無残な姿になっていきました。

子供の心は、無垢で無邪気と言いますが、自分より弱い立場の生物を
楽しそうに大量虐殺している姿は、まるで悪鬼のようで、見ていて心が

痛くなりました。

肉食の生き物たちは、自分の生命を維持して行く為に他の生き物たち
の生命を奪い、その血肉を食らう訳ですが、その行為自体は、生命の
起源から繰り返されてきた生命の営みだと思います。

但し、自分の楽しみだけの為に他者の生命を大量に奪う行為は、人間
の愚かさだと思います。

この子供たちが、今後、どのように成長し、どんな行動をするのか、考え
てみると少し怖くなり、悲しくもなりました。

八幡平の山頂への登山道入り口には、舗装された巨大な駐車場が用意されています。

駐車場内には、売店や食堂なども整備されており、大型観光バスなどで訪れた観光客で
たいへんな賑わいになります。

この駐車場の近辺で熊や狐といった動物を見かける事もあったのですが、人間を警戒していま
すので遭遇しても逃げてしまうのが通常でした。

ところが、ある晩秋の頃にいつもの様に駐車場に車を停めて降りたところ、目の前に狐が駆け
寄って来たのでした。

私から、ほんの1メートルくらい離れた場所で立ち止まり動こうとしません。

登山用に携帯していた菓子を差し出して見ると、近くに来て食べ始めました。

この狐は、人間から食料を貰える事を理解しているようです。

その後、子供たちが近づいて来たのを警戒して林の中に走り去ったのですが、ここまで人間
に馴れた狐を見たのは、初めてでした。

野生動物が人間の持っている食料を目当てに近づいて来るという事態には、深刻な意味が
あると思います。

餌付けや給餌をする行為は、弱い者に対して施しをする善の行為と解釈する人が多いよう
ですが、自然の仕組みへの不十分な理解が生態系の様々な問題を引き起こしていると思い
ます。

野生動物が自力で生きられるだけの自然回復に努力しないで、冬など食料の少ない時に

野生動物の生存を助ける為に食料を与える越冬地での野生動物を保護
する行為が、消費される以上の過剰な食料供給などによって越冬地
自体の環境破壊を引き起こすなど、人間の自分勝手な行動を目にする
事があります。

野生動物にとって食料の確保が生存への重要な課題ですから、食料
を与えられたら喜んで食べますし、貰える場所へと集まって来ます。

しかしその行為は、自然保護などの目的では無く、野生動物を見に
来る人を集めるのが目的で実施されている事もあり、観光地化する事
で、何らかの利益を上げるのが目的だったりもします。

山奥まで舗装された道路や、登山口や越冬地などの周辺に立派な
駐車場を整備する事で観光客を増やし続け、餌付けや給餌という行為
が広がり、自然への環境破壊を促進させているという事に気が付いて
ほしいです。
 

最近では、企業や公的機関への悪質で行き過ぎた苦情を訴える方々が増えていると言う 事
を耳にします。

以前のように金品などを要求する目的では無く、自分勝手な正義感
を述べ立てることによる
自己陶酔や憂さ晴らしといった動機によって行動を起こしているので、我に正義ありと思い
込んでいる為に非情に対応が困難な人たちになるそうです。

このような歪んだ正義感を振りかざす方々の標的は、自治体、病院、学校、さらに政治家や
有名人といった個人にまで広がっている状況でして、なんでそんな言動を平気で繰り返す事
ができるのか、とても嘆かわしいと感じていました。

先日、岩手県の自然環境保全地域に指定されている、ある山間部の湿原に訪れたときの
出来事なのですが、設置されている木道から少しでも離れた場所に人が居るのを見つける
と、大声で木道に戻れと注意をしている年配の女性が居たのでした。

この女性は、服装や装備などを見る限りでは、ここの監視員では無く、一般の観光客みたい
なんですよね。

この湿原では、増え続ける観光客によって踏みつけられてしまった湿原に自生する植物や
土壌への被害を少なくしようと、木道や橋などが設置されているのですが、それは、広大な
湿原内の一部分に限られているんですよね。

今では、観光地化が進み、ガイド付きのバスツアーまでありまして、まったくモラルの無い
人達も居ますので、もちろん木道から離れて植物を踏み荒らしているような人が居たのなら
ば、厳重に注意をしても良いと思いますが、この女性の少しでも木道から離れた人々に対する
行動は、別な理由によって行われている感じがしました。

そう、まさに我に正義ありって感じで・・・。

この地域には、植物の採取が禁止になっていますので盗掘などの被害を見張る監視員の方々が居るのですが、この監視員の方々に代わって
木道から少しでも離れた人々に対する行き過ぎた自分勝手な正義感を主張する女性の言動を見ていると、とても寂しい気持ちになってしまいま
した。

近年の地球温暖化の問題で地球の環境を守ろうとする対策の内容を聞くことがありますが、とても疑問に思うことがあります。

実際には、地球の自然環境を守るのでは無くて、人間の生息環境のみを維持しよとしているだけじゃないのかと思うばかりで、人間の生息環境
を維持する為ならば、自然環境などどうなっても関係ないって感じがしてなりません。



地球温暖化の最大の問題は、大気中の二酸化炭素の急激な増大なのですが、これは、地球に
とっては、今までに何回も繰り返し起こった現象になると思います。

元々の地球の大気には、殆んど酸素が無くて、温室効果の強いメタンガスや二酸化炭素が主な
成分だったはずです。

殆んど酸素の無い状態から二酸化炭素を利用した光合成が始まり、酸素を排出する生物たち
の増殖によって少しづつですが、水中に酸素が増えていったんですよね。

水中の酸素量が飽和状態になると大気中にも酸素が行き渡るようになり、活発に動くための
熱量を得やすい酸素を利用した生物たちが、私たち人間につながる進化の道を経て、現在に
至っているのです。

現在でも光合成をする生物によって二酸化炭素が消費され、酸素が作りだされています。

大気中の二酸化炭素が増えるという事態は、光合成をする生物にとっては、非情に喜ばしい
環境になって行くって事なんですよね。

光合成を利用して成長する植物たちが増え始めれば、また次第に大気中の酸素濃度が増え
て、二酸化炭素の割合が減っていくのですが、それには、人間の解釈では、かなりの時間が
必要になってしまいます。

そして、地球の環境を守ろうと言いながら、人間の生活環境を維持する為に地球上での森林
伐採が今でも広がり続けて、植物の数が激減している現状では、いくら人間が生活の中で出す
二酸化炭素の量を規制しても根本的な解決など無理だと思います。

あと、地球温暖化によって絶滅の危機にある動物たちを救おうなどと言っていますが、自然
環境が変われば、その環境に順応して進化が始まり、新しい種の動物となって生き続けるの
で、その行為を人間の力によって阻止して、無理やりに現状を維持しようとするのは、あまりに

も愚かな行為だと思います。

今までたくさんの種が生息環境の変化に対応できなくて絶滅したと言われていますが、実際には、絶滅した種から新たな種へと移行しただけ
なのかもしれないのですよね。

最近では、羆から進化した北極熊が生息環境の変化によって、また羆との交配が進み、新しい交配種の熊が誕生していると報告されています。
仮にこのまま北極圏の環境が変わり続けて北極熊が絶滅してしまっても、その新しい交配種が新たな北極圏周辺の環境に順応して、繁栄し
ていくのかもしれませんよね。

今の人間にとって住みやすい環境を維持していくという考えが主な対策では、この先も地球温暖化が進む結果になってしまいそうだなと、個人
的に考えています。


追記:地球上では、地層の化石などから判断して中規模な物も合わせると14回ほどの大量絶滅が起こっており、今までに生存した種の95%
以上が絶滅してしまったと考えられています。

大量絶滅の原因は、大規模な火山活動や小規模の隕石墜落による気候環境などの変化によって、太陽光が遮断されてしまい、植物の減少に
より食物連鎖のバランスが崩れて大量に餓死していったと考えられていましたが、最近の研究によって実際には、メタンガスや二酸化炭素の
増大によって酸素が減少した結果、大量に酸欠して絶滅が始まったと考えられています。

現在の地球上でも大気中の二酸化炭素の増大によって海水中での無酸素域が広大しており、海水で吸収しきれなくなると、今度は、大気中
での無酸素域が発生してくると予想されています。

今までに大量絶滅が発生した時の地層で確認してみると、酸素濃度が回復するまでに200万年〜1000万年ほどの時間が掛かっており、
酸素を必要とする生物にとっては、切実な問題になると思います。
現在の根本的な解決の無いままの環境破壊が繰り返えされ続けると、すぐにでも次の大量絶滅が始まってしまうのかもしれません。
いや、現在の海水の無酸素域の拡大を考えると、すでに次の大量絶滅が始まっているのかもしれませんね・・・。

1:自己紹介

2:はじめに 3:撮影機材の選び方 4:フィルムの選び方 5:画角の変化
6:絞りとシャッター速度 7:構図の決め方 8:撮影用フィルター 9:作品を見てもらおう リンク

書かれている内容に関して、ご意見やご感想などのメールを送っていただける方もいらっしゃるのですが、
何かと時間的な余裕が無いものでして、ゆーしからの返信など基本的に無いものと思ってくださるように、よろしくお願い致します。

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